SixTONESの京本大我さんというと、女の子みたいなビジュアルでかわいい!
実家がお金持ちのお坊ちゃま!というイメージを持つ人が多いですよね^^
実はビジュアルだけでなく、性格も天然でかわいいんです!
そしてお坊ちゃまぶりは高校生の頃から発揮されていたようです!
ですがそんな高貴なイメージとは裏腹に、14年間のジャニーズJr時代には人一倍の努力を重ねてきたことがわかりました。
抜群の歌唱力は、その努力の賜物なんです。
今回は、そんな影ならぬ努力家で、お坊ちゃまでかわいい京本大我さんを思わず推したくなってしまう!
そんな京本大我さんの萌きゅんエピソードにスポットを当てて迫ってみました。
パッと読める目次
京本大我を推したくなるエピソード6選
京本さんの父親(京本政樹)さんも芸能人ということで、2世の壁とも戦ってきた京本大河さん。
今回はそんな京本大我さんの、かわいくてお坊ちゃまな一面だけじゃない、努力家でプロ意識が高いことがわかるエピソードをまとめました!
京本大我エピソード・天然でかわいい
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京本さんがかわいいと言われる所は、そのビジュアルだけではなく天然でかわいいキャラクターにもあります!
SixTONESのYouTubeにあがっている「KYゲーム」では、「海外旅行」というお題でなぜか舞い降りた天使のようなポーズをとっていたり、
「魚」のお題ではまさかの串焼きにされた魚のポーズをとるなど、独特なセンスが光っています笑。
更には、出題者はお題を言った後に「せーの!」を言わないといけないのですが、テンパってそれが逆になってしまう京本さん笑。
メンバーに突っ込まれる姿がかわいいですね!!
そんな京本大我さんの天然っぷりは「京本ワールド」と言われており、
YouTubeで「京本ワールド」と検索すると他にも色々出てくるのでぜひ見て欲しいです!
京本大我エピソード・一人だけひつまぶしを食べるお坊ちゃま
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京本大我さんのお父さんが名俳優の京本政樹さん、という話はそろそろ有名になってきていますよね!
ご想像の通り、京本さんの子供の頃の3時のおやつはショートケーキという生粋のお坊ちゃまです^^
そのお坊ちゃまぶりは大人になっても健在で、つい最近まではカップラーメンを一人で作ることができず、
メンバーの田中樹さんと髙地優吾さんに作ってもらっていました。笑
SixTONESは高校生時代(SixTONES結成前)、渋谷のうなぎ屋さんによく通っていたそうです。
他の5人がいつもよりちょっと多めにお小遣いをもらってきて、うな丼を食べる中、京本さん一人だけひつまぶしを食べていたり、
他の5人で一つの肝焼きを分け合って食べる中、京本さんは一人で一皿食べる、などお坊ちゃまぶりを発揮していたそうです。笑
また、京本さんはひつまぶしのことを「お茶漬け」と言っていて、さすがお坊ちゃまは感覚が違うなぁと実感しました笑。
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京本大我エピソード・歌唱力の成長がすごい
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実は京本さん、小学生の頃はすごく音痴だったんです。笑
合唱コンサートの時には先生から「大きな声で歌わないで」と言われたほど。
ジャニーズに入ってからも、10代のうちは綺麗な声、という印象が強かったのですが、二十歳でミュージカルを始めてから声に一気に深みが出てきます。
まずはこちら、2013年19歳の頃の映像です。
確かに高くて綺麗な声ですが、メインボーカルとしては少々弱いかな・・・といった感じです。
続いてこちらが2019年。25歳の頃です。
踊りながらでも安定して、ビブラート等のテクニックも使いこなし、ボーカリストの風格がありますよね!
ジャニーズで歌の上手い人は何人かいますが、天性の歌声の人が多く、ここまで努力で上手くなった人は思い当たらないんですよね・・・
京本大我さんは成長に貪欲なので、これからもっともっと歌も上手くなるんだろうなと思うと、目が離せないんです!!
京本大我エピソード・2世の壁
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親が芸能人、という人には「2世の壁」は、もはやつきものですよね。
京本さんも10代の頃はずっとこの『2世の壁』に悩まされてきたそうです。
ジャニーズJrになった当初も靴がなくなったり、名札が捨てられていたりといじめにあっていたと話しています。
京本さんは「親が芸能人だから、人一倍努力しないといけない」と思ってやってきたそうです。
「生まれつきの肩書ばかりではなく、もっと自分自身を見て欲しい」と思ってきた京本さんでしたが、
その壁を打ち破るきっかけとなったのは2013年に父親の政樹さんと共演した『滝沢演舞城』でした。
立ち回りをこなす父親の姿を間近で見て、芸能界の先輩としての尊敬の念が大きくなり、2世であることへのコンプレックスをプラスに変えていけるようになりました。
デビューを迎え、
「覚悟はしていたけど、今まで以上に肩書ばかりが取り上げられる。だからこそSixTONESで歌い続けていくしかない」と決意を語る京本さん。
今では「オレ全然2世だよ!」とキャラの一つとして扱う京本さんを見ると、そう言えるまでに相当な苦悩や努力があったんだろうなと、本当に尊敬してしまいます。
京本大我エピソード・TrackONE -IMPACT- 1月4日横浜アリーナ公演
SixTONESのデビューツアーとなった『TrackONE -IMPACT-』。
その初回だった横アリ公演でデビュー曲の『Imitation Rain』を歌った際、京本さんが泣いて歌えなくなってしまう場面がありました。
後のインタビューで京本大我さんは、
「プロとしてちゃんと歌を届けたいから、泣いて歌えなくなるなんて俺の中ではあり得なかったんだけど、この時だけはダメでした」と話しています。
これまで何度も泣きそうになる場面はあったものの、ぐっと堪えてきたとのこと。
でも「戻れない時を振り返る」という歌詞で、自分のJr時代が走馬灯のように蘇って、堪えられなかったんだとか。
映像を見ると、絶対に泣きたくない、歌い切りたいという気持ちが伝わってきますよね・・。
結果的にファンにとって伝説的なパフォーマンスになった訳ですが、プロ意識をもって必死に戦っている姿が強く印象に残ったのだろうと思います。
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京本大我エピソード・全力で挑んできた代役、逃したデビューの機会
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京本さんはJr時代に色々な人の代役を務めています。
例えば現在のHey!Say!JUMPの前身でもあるHey!Say!7というユニットがKAT-TUNのバックを務めた際、山田さんの代役を京本大我さんが務めています。
代役を聞かされたのは本番2日前。
必死で振付を覚えて挑んだんだそうです。
父親の京本政樹さんは、本番前夜に部屋で物音がするため覗いてみると、大我さんが寝言でカウントを数えながら振りの練習をしていたと話しています。
その時のコンサートがDVDになっており、「山田君の代役を務めた証が残って嬉しかった」と話す京本大我さん。
代役であっても誇りをもって取り組む姿勢が、幼いながらにプロですよね!
更には、SexyZoneのデビューの際も代役を務めています。
『Kis-My-Ft2 with ジャニーズJr.』の最終日にデビュー発表をすることになっていてSexyZone。
京本さんは、急遽別舞台の代役で最終日しか参加できなくなってしまった菊池風磨さんの代役を務めました。
しかもこの時、「京本のパフォーマンス次第では急遽6人でデビューということもあり得る」と振付師に言われていました。
歌割も振付も必死で覚えた京本さんでしたが、
実際のデビュー発表日には、前日まで京本さんのいた位置に菊池さんが入り、予定通り5人でのデビュー発表となったのです。
当日、そのパフォーマンスを舞台袖から見ていたという京本さん。
この時が1番心をえぐられたと言います。
実はHey!Say!JUMPのデビューの時も、京本さんは準備段階には加わっていたんです。
(明確にメンバー候補だったという情報はないです)
「デビュー出来るのかも?」という期待を抱いていただけに、実際メンバーには選ばれずとてもショックを受けたと話しています。
デビュー出来るかも!!という期待を何度も裏切られてきた京本大我さん。
それでもこの悔しさを乗り越えて、ジャニーズJrをやり続けてくれたことに本当に感謝しかないです!!
まとめ
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以上、京本大我さんを推したくなるエピソードをまとめました!
テレビでは口数も少なめなので大人しく見られるかもしれないですが、喋りだすと天然で、お金持ちもネタにしてしまうような気さくな人なんです!
そして何よりも、相当な努力家で高いプロ意識の持ち主。
それをあまり表に出さず、結果で出してくるところが本当にかっこいいんです!
何度もデビューを逃してきた京本さんですが、最終的に音楽に強くこだわるSixTONESとしてデビューしてくれて本当によかったと思います。
音楽で本格的に世界進出を目指すSixTONESの今後が楽しみです!!
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